はじめまして
みなさん、こんにちは
ルンビニ幼稚園の園長、イテル武田抄子です。
子どもって、かわいいですよね。
子どもって、エネルギーの塊ですよね。
子どもって、純粋ですよね。
子どもって、オモシロイですよね。
でも、子どもって、わがままですよね。
子どもって、目が離せないですよね。
子どもって、すぐ泣きますよね。
だからいいんです。
子どもとの生活は、苦労が絶えない。
でも、家庭が明るくなり、そして何より愛おしくなる、
子どもからの絶大な信頼を親は(教師も)得られます。
ルンビニで教育を受けることによって
自分で生きる力を適切に身に付けることができる
好きな友だちと遊びを広げることができる
どんな仲間とも協力しながら生活をしたり、活動したりすることができる
「ありがとう」が言える子どもに育つ
感性豊かな教育を受けることで子どもの可能性を高めることができる
そして
親は、成長する子どもとの生活のヒントが得られ、親としての喜びが増す
そんなルンビニ幼稚園へ、ぜひお越しください。
園長コラム
とある小鳥と子どもたちのエピソード
2026-01-26
年長の年長の子どもたちが、10時ごろ、廊下の飼育ケースの上に横たわっている小鳥(体長15㎝ほどのツグミ)を見つけたことを、園長のところへ鳥の図鑑をもって報告に来た。どうやって報告しようか、はにかみながら、考えながら…鳥がツグミであることは、図鑑で調べたらしい。
登園時間帯に、廊下に人だかりがあったこと、教職員のつぶやきで、鳥が死んでいるということを私は直前に把握していた。子どもが、大事なことを私に報告することで、なぜそこに居るのか、理由を知りたいのか、はたまた共感を得られると期待して来たのだろう。
子どもたちは、ツグミという鳥であることを誇らしげに言うものの、死んでいるのではないか、という言葉については勇気を出して、友だちと一緒に紡いでいた。幸い、ツグミの死体は、傷もなく、瞳はやや干からびて開いているものの、きれいだった。穏やかな顔つきだった。だから教員たちは、子どもにゆだねたのであろう。
職員室で私は尋ねた。
「傷はあるの?」
「寝てるのかな?」
「うごく?」
3人の子どもたちは、もちろん、否定した。
「鳥の名前を自分たちで調べたの?」
「死んでしまっているのかもしれないね。じゃあ、園長先生と一緒に、もう一回見に行きましょう。」
ほっとした顔で、子どもたちは笑顔で足早に現地に向かった。私がついてくると信じて。
人だかりはひと段落していたようで、2,3人の子が寄ってきて、口々に自分の考えを言い合った。
「私と同じ名前の鳥が死んじゃうなんて悲しい」
「起きてこないってことはやっぱり死んじゃったんじゃない?」
「このままにしていいかな?」
「だめだよ、お墓に入れてあげなきゃ」などなど
その状況が発覚してからしばらく時間がたっているのだろう。子どもたちの話す様子から状況をよくわかっているかのようだった。私と共に話を整理する中で、子どもたちの発言には自信がある様子が伺えた。可哀そうという言葉も、2,3聞こえたが、私は相槌を打つくらいにとどめ、それよりも子どもたちが生きものの「死」、というものをありのままに受け止めている様子を大切にしてみた。
「死」、とは何だろうか。
おりしも、大好きな祖父を亡くしたばかりの子がクラスにいた。そして、自分の名前に似た鳥がいることを半ば喜びながらも複雑な心境で、しかし微笑みながら「悲しい」という言葉を出す子どもの姿…
その事件を知っているのは、約3分の1の子どもたちであったこと、ちょうど、30分後にはお参りという週1回のお勤めがあることからみんなに伝え、葬るまでを全員の保育とすることとした。
野鳥だから、直接触らせることはできない。愛着もあるはずがない。しかし、鳥の死という貴重な体験を、今この子たちは目の前にしている。
私が手袋をしながらも体をなで、手にのせたり、まだ生暖かい身体を、寝てるんじゃない?という子の発言を受けて起こすかのように少し揺らしたり、とかかわる姿を見て、死んでしまった鳥が、のの様(ほとけさま)の国に行けるように、みんなに大事にされたことを喜べるように、土葬の準備をすることにした。それだけ、ゆったりと、この縁もゆかりもなかった鳥を大切に思い、土に返すことは、鳥の命が小さな虫たち、やがて紫陽花の栄養として命がつながることであるという私のそこそこ長い話を真剣に受け止めている子どもたち。
そして、子どもたちは皆、手袋をして鳥をなで、園庭に咲き誇っていたさざんかの花を手に持ち、遺体の上に花びらをかぶせ、名前のない墓石に向かって手を合わせた。みんな、ほとけさまの子だな、と感じたひと時であった。
私でさえ、こんなにも近くでツグミを見たのは、もちろん触るのは初めてだった。死は誰にでもやってくる。今後子どもたちは、物語に出てくる死の話が、きっと違ったものに聞こえるのだろう。
チコちゃんも言っていた。怖い話は記憶に残る。だからこそ、子ども時代に昔話を聞かせ、生きるための教訓を忘れないようにするのだ、と。
今日は、怖さと温かな心が同居した日であった。
幼児教育に大切なこと①
子どもたちの今と未来のために、私たちルンビニ幼稚園の教職員は、教育に携わる者として、知恵と感性、知識と経験、研究と研鑽から子どもたちの“今”を見つめ、話し合い、何が望ましく、何が育ち、何が不足し、どのように提供していくことが良いのか日々考え、喜びをもって実践に取り組んでおります。
教育には、変えてはいけない根本的に大切なことと、時代や子どもの実態に即して、臨機応変に変化させるべきことと教師が常に新鮮に教育を提供していけるための自由な空気感が大切です。
それはつまり、子どもたちにも言えることで、毎日繰り返すべき大切な、生きる力と仲間と生活をしていくために柔軟に対応していくべき社会性(非認知能力)と自分の力を発揮するための自由な空気感が大切です。
ルンビニ幼稚園には、幼児教育に最も大切な“それ”があります。
教育に大切な要素がきちんと詰まったルンビニ幼稚園には、皆さまと共に歩む、温かな空気が漂っています。
どうぞ、一歩踏み込んでみてください。小さな園だからこそ、家庭からの第一歩のお子さまに、きめ細やかな保育を提供させていただきます。
幼児教育に大切なこと②
子どもが育つために必要なことは、時間・空間・仲間です。
学ばなければならないことが増えた現代、効率が子どもの世界にも蔓延しています。しかし、これだけはいえること、それは、お金ではなく、手間と暇をかけなければ、子どものこころの安定と、将来の基盤になる意欲、態度、心情の育ちは不十分です。
その手間のかけ方、暇の使い方が現代社会のライフスタイルによって歪んできています。しかしゆがみですから、大人の意識と行動によって改善できるのもの。そのお手伝いをルンビニは保育のあり方を通して皆さんにお伝えしたいと考えています。
それは、子どもの幸せのため、その家族の幸せのため、その家族を取り巻く社会の幸せのためでもあるのです。
幼稚園には、教科書がありません。製作帳や教材キッドを使っての保育もありますね。指示されたとおりに組み立て、順番を追うこと、これも大事。意外と現代の子に欠ける面(話を聞いていない、というケース)でもありますから。ルンビニでも時々行います。しかし、ルンビニ幼稚園が一番大事にしていることは、実体験から学ぶ時間が保証されないと本当に分かったとはいえない、ということです。本当に分かれば、その必要性もわかります。話も聞いていないと、友だちと協力してすごいことを成し遂げることが出来ないのですから。
物があふれているこんな時代だからこそ、自分で工夫し、先生の助言を受けながら「そうだ、こうしたらもっと良くなるね!」と目を輝かせて発見できたら、次へのチャレンジも楽しくなるはず。キッドはもう一度、と思っても簡単に手に入りませんが、身近な材料ならば、どんどん使えて、イメージも自由自在、試していけるのです。
自主活動の時間は色々な制作活動がたくさん。手先を使ってあれこれ考えることは脳の活性化(子どもは常に活性化しているものですが、いい使い方という意味です)にもなりますね。またみんなで活動する時間でも、子どもたちの興味や関心に合わせて、クイズを考えたり、ゲームを考えたり、子どもと劇遊びを作ったり…
教員が用意しながらも、一緒に作り上げるからこそ、子どもたちのやる気、意欲が高まり、将来自分で学習する力に結びつくのです。
沖縄慰霊の日に寄せて
2025-07-04
長年、幼稚園に勤めていて、戦争のことを語ることができないジレンマを抱えていました。一番わかりやすい8月15日、広島・長崎の8月6日、9日が夏休み中だからです。
私の母である前理事長(のんの先生と呼ばれていました)は、江戸っ子で上野周辺に住んでいましたので、東京大空襲の経験者です。当時、4人兄弟の一番上の7歳でした。弟を背負った妊娠8カ月の母親(私の祖母)と妹と4人で日頃の遊び場であった上野公園へ逃げたそうです。墨田川には多くの人が水を求めて飛び込み、命を失ったとのことです。当時の話を時折聞いていた私は、母が亡くなる前に幼稚園でその話をしてほしいと頼んだことがありますが、あまりに凄惨な経験であったようで、娘である私にはなんとか話せても園児には話せないようで、やんわりと断られました。また前園長の父は川越でしたから戦火を逃れており、徴兵の年齢でもなかったことで、東京大空襲を東京の空が赤く燃えている、といった程度の経験。語るべき体験談があまりありません。そんなわけでずっと諦めながらも、何か良い策はないかと小さなきっかけを考え続けてきました。
今朝のニュースでハッとしました。沖縄慰霊の日の今日は、子どもたちの日常のお参りが行われる月曜日であると。今日を逃したくないと思い、さっそく何か良い絵本か紙芝居がないかと探しました。6月に素話でこれを実感させるのは難しいと考えたからです。なかなか見つかりませんでした。小学生向けのものは世の中に多く存在しますが、幼児向けの作品はごくごくわずか。たった1冊、長年大事に保管してきた古い絵本『かわいそうなぞう』を思いつきました。これで、戦争の悲惨な側面を脅かすのではなく少しでも感じられるだろうか、と。
お参りの後の私の紙芝居の時間に、3学年向けには、年長児が日曜日に捕まえて、今朝飼育ケースに入れて連れてきてくれたカタツムリがテーマの紙芝居を読み、その後に年中長にだけ読み聞かせをすることにしました。
「動物園に行ったことありますか」
「どんな動物を見ましたか」
「ライオンや象があなたの隣にいたら怖いですか」
「ではウサギさんやハムスターはどうでしょう?怖いかな?」
「そうね、小さな動物は怖くないけれど、大きい動物は怖いですね」
別のタイミングで、
「沖縄というところを知っていますか」
2.3人の子に旅行経験があったようで海の話が出ました。
『かわいそうな象』の物語は、第2次大戦下、東京の空襲が始まった頃に、爆撃により猛獣が逃げた時の危険を想定して危険動物を予め殺す決断をしてから象が亡くなるまでの飼育員たちの心情の記憶を語る形で描いた作品です。
なぜ大きな動物が殺されなければならないのかを理解できるように願い、このような導入の話をしました。
長い文章の途中を少し端折ったり、言葉を現代っ子に分かるように変えたりしながら、最後までほとんどの子どもが関心を向け続けることができていました。ほっとしました。幼児が本当の意味で戦争を理解するのは難しいでしょうが、ニュースで見かけたり、大人の会話の中で聞こえる「戦争」という響きに、関心を寄せられる子どもになってほしいと思っています。
最後に子どもたちに言いました。
「このお話は昔のお話ですから、今、みんなの住んでいる日本で戦争はありません。でもね、今でも外国では、人と人が殺し合う国同士のけんか、戦争が起きているのですよ。その戦争を手伝う国も人もいるんです。」
「動物たちがこのように殺されることがある戦争は、絶対にあってはいけない、ですね」と。
幼稚園は学校です。
教育をする場として、将来の日本を背負う子どもたちへの、ひとつの示唆になってくれれば、と願う園長です。